大好きなおしどりマコさんが、来年の夏の参議院選挙で、立憲民主党から全国比例で出馬することになりました。
知った時は、めちゃめちゃ驚いて、嬉しくて、心配で、号泣した・・・。
来年の夏は山本太郎議員の選挙もあるけど、どっちも私にとっては大事な選挙だから、できる限りの応援をしたいと思ってます。
お友達に誘われて、さらに自分もお友達を誘って、今日の夕方、有楽町で行われた立憲民主党の演説会に行ってきました。
動画はこちらです。ぜひ彼女の訴えを聞いてください。
文字起こしをしたので、SNSなどでコピペ引用してもらってかまいません。
マコちゃんの想いを全国の方に知ってもらえると嬉しいです。よろしくお願いいたします。m(__)m
ここから文字起こしです
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福山哲郎幹事長:多くの仲間が今日は、一周年ということで来ていただいておりますが、来年の参議院選挙、立憲民主党の比例代表の予定候補として戦っていただける方。まず、トップバッターはおしどり、おしどりマコさんにマイクを渡したいと思います。どうかよろしくお願い申し上げます。
(握手)
福山幹事長:がんばりましょう。
おしどりマコ:はい。
おしどりマコ街頭演説
みなさんこんばんは!おしどりマコと申します。
(待ってました!の声)
ありがとうございます。
私は芸人なんですけど、原発事故のあと取材を始めました。
一応私もテレビ業界の端っこにいましたので、原発事故の後たくさんの人たちが東京から原発事故の汚染を逃れていくのに、でもそれが全然ニュースに出てこないっていうことがとてもショックで。本当は一体何が起こってるんだろうと思って、そして取材を始めました。
そうすると、あっという間に仕事を干されて。で、原発や政治のことは、みんなテレビに出てる人たちも、みんないろいろ考えてるのに、全然口に出せないんだということに気付きました。政治のことは口にするなと、しゃべるなと。原発には触れるなと。議論するどころか、イエスかノーじゃなくて、タブーだったんです。
でもね、本当は、普通にこの社会に生きてるんだったら、当たり前に政治のことを考えておかないといけなかったと。今までまったく考えてこなかった私が馬鹿だったと反省しました。
だから、仕事を失くしても、何があっても、ちゃんと社会のことを考えると。そして原発事故の取材を続けてきました。
2011年からずっと取材を続けてくと、いろんなことがありました。まぁほんとに7年取材を続けてきたからわかるんですけど、情報が全然出てこなくなったんですね。そのターニングポイントは、2012年に衆院選で、2013年に参院選で、自民党が第一党になってからでした。これは取材しててもどうしようもないことでした。
原発事故の時は、安倍政権でなくて民主政権だったので、実は芸人の私が取材をできてたと気付いたんですね。今の安倍政権だったら、芸人の私は、東京電力も、経産省も、厚労省も、環境省も、どこも取材できてなかったと思います。民主政権だから、原発事故のとき私も取材ができた。
で、2012年、原子力安全委員会というところなくなりましたけど、ここもものすごく情報公開をしていて。例えば、2011年3月11日と、ホワイトボードに手書きのメモを全部写真に撮って公開してたんですね。「原発事故の情報は国民の皆様の関心が高いので公開をします」と。今の安倍政権では絶対そんなことはないと思います。原発事故の前に情報公開していた原子力保安院の情報を、今の原子力規制委員会は黒塗りにして出すんですね。いつのまにかこんなに情報公開が後退していたことを私は知りました。
そして原発事故の追及をしている国会事故調査委員会、政府事故調査委員会。これが最終の報告書が出たのは2012年7月で、そのあと止まったままなんです。ずっとそのあと原発事故のいろんな事がわかってきたのに、何にも報告書に盛り込まれてないんです。それは、2013年から安倍政権の力がすごく強くなったからです。取材をしていて、私はひしひしと感じました。取材をしているだけじゃ足りないんだとよくわかりました。
で、原発事故のあと私はいろいろがっかりしたんですけど、でもたくさんの方々が、社会を考えるために走り出して、私はもう少し、もっとましな世の中になるんじゃないかと思ってました。でもそうじゃなくって、一瞬そう期待したんですけど、どんどん事故の前のように戻っていて、どれだけ各地で地震があっても、全国の原発はどんどん再稼働していって、どんどん事故の前に戻っていくことが、その時に私一番絶望しました。
そしてね、去年、希望の党ができて、そして民進党がなくなって、「ああもう日本はどうなるんだろう」と。私取材しかしてこなくって、選挙に大きく関わってこなかったから、私が悪かったとすごく自分を呪いました。
でもね、一人で枝野さんが、たった一人で記者会見をして、そして立憲民主党という新しい名前の政党を作ってくださった。本当に私は嬉しかった。
原発事故の後、本当にね、原発事故の後のテレビのニュースで、私初めて嬉し涙流したんですよ。「ありがとう!」って。どれだけ覚悟されてたか、腹くくったか。
でもね、1年前の私は「立憲民主党は支持するけど、枝野さんは支持しない」とか、そんなふうにも考えちゃってたんです。それは私、民主党とか民進党の枝野さんに引きずられてるって気付きました。
で、私、この1年どれだけ情報公開が、原発事故じゃなくて、原発だけじゃなくて、どの省庁でも行われてないってことに気付きました。それまでは省庁が独自でどんどん情報公開を勝手にしてたのに、「国民の皆様のニーズ」ということで情報公開してたのに、いつのまにか省庁は政権を忖度して情報を出さなくなってたんです。もうこれひどいと思って。で、私は考えて、いろいろ考えて、次の私の戦いは枝野さんだと思いました。
一から百まで同じ意見の人なんかいないと思うんです。すごく、ところどころ一緒になったら同じ方向見て戦えばいいと思うんですね。私は、私の次の戦いは、枝野さんを総理大臣にして、そしてね、原発事故のとき官房長官だったから、その枝野さんを総理大臣にして、もう一度、事故調査委員会を始めて、情報公開をしてもらいたいと思ったんです。ほんとに。
みなさん。私の周りを変えられるのは私だけです。あなたの周りを変えられるのはあなただけなんです。半径5メートルを変えていきましょう。歯磨きをするように社会を変えましょう。周りの人と美味しいもの食べて、生活を感じて、そして社会のことを話し合って。憲法を生活の中に取り入れて丁寧に暮らしていくことが、憲法を守ること、社会を変えること、そして立憲民主という名前の党だと思います。すいません。みなさんありがとうございました。